水の日

8月1日は「水の日」であることを、水ジャーナリストの橋本淳司さんの投稿から知りました。国連が定めた「世界水の日」は3月22日ですが、この「水の日」は国交相が定めたもののようです。8月1日からの1週間は「水の週間」。国交相のサイトには「水が健全に循環することによってもたらされる水の恵みや健全な水循環の重要性について理解と関心を深める」とあります。

私が「水」という言葉を聞いて思い出すのは、ヘレン・ケラーや、水俣で起きた公害のこと。神様にお供えしたりお清めに使う水や、消毒の匂いのするプールや公共施設のお風呂。海を埋め尽くすほどに大量にあふれるペットボトルや、かわいい水筒を持ち歩く人をみたときに感じる素敵だなという気持ち。水彩画の描き出す間(あわい)の世界、山肌を削る重機の荒々しさと、その操縦席に座る人の瞳の奥にある、とても大切な何かのこと。どこか遠くの伐採によって静かに途絶える水の通り道。誰のものでもなくて、誰のものでもある、大切にする意外に為す術もないような、不思議さを忘れてはならない存在のこと。

人から聞いた話につられて、今年の今日は、青い服を着て過ごしました。

今年の8月1日には、もうひとつのメッセージがある。それは、地球の資源を使い果たしてしまった「オーバーシュート・デー」であるということ。使い果たしてしまったというのに、「台所事情にはまるで御構い無し」とでもいうように、今日もまた、猛暑の世界を生き抜くために、縮こまる。

水といえば、水五訓。

記したいようでいて、やすやすと記したくないような気もして。


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