ひとりで居られる、豊かな闇

人が、人間らしくこころを通わせて生きる社会に希望を見出すこと。

そのことへの想いが、NVC (Non-violent Communication:非暴力コミュニケーション)に出会う大きなきっかけの一つだった。

amazonが「あなたにおすすめ」とNVCの本を画面に表示するまでに入力した単語は、「いのち」「言葉」「平和」「対立」…とか。そういう類のものだったのではないかと思う。「ダイアローグ(対話)」もあったかもしれない。

では、人が、人間らしくこころを通わせて生きるために私は何を求めているのだろう。

対話の場をつくること?

それもあると思う。でも、正直、「対話」という言葉につきまとう、たくさんの人と出会って言葉を交わすことや、どこか前向きでいなくてはならないようなイメージに、ある種の疲れを感じてもいた。

どちらかというと、私が欲しいのは、暗い場所にひとりでいても安心していられる、静けさの方。わずかな炎が放つ存在感を受けとめるのに十分な闇。何かに意識を向けるのに、照らすライトはいらない。あかりは自然に感じられるくらいがちょうどいい。じんわり空が明らんでいく時間が私は好きだし、カーテンをあけるのは、自分のペースがいい。

なんにせよ、内的動機からうごく感覚を、確かなものにしていきたかったんだ。


NVCは、人の行動を動機づける感情やニーズの関係について意識的であることであり、そこから、”大切なものを大事にする”ためのつながりの質を紡いでいく、内的感受性を研ぎ澄ましていくプロセスだ。

そこには観察(Observation)、感情(Feeling)、ニーズ(Needs)、リクエスト(Request)という4つのプロセスがあり、それによって”自分や相手がどのような状況にあるのか”ということに意識的になり、(ないもの)に向けていた視線を(その奥に確かにある大切なもの)へと切り替えていくことができる。

方法論的なものが示されると、それを知識・情報として吸収することに気持ちが向かいがちになる。実際に陽の昇る時間を体感で知ろうとする代わりに、天気予報に示された数字だけを参照元にするように。そんな風に情報に触れることが習慣化されると、瞬間瞬間に出現しては消えてゆく空の明るさや鳥の声、空気のあたたかさや湿度がどんなだったのかを味わうことを、つい、忘れてしまう。こんなにも豊かな情報が、刻々と変化しながら、そこにみなぎっているというのに。

変化し続ける存在そのものを感じる側にたったとき、いのちの音が、リズムが、ずっと近くに感じられるようになってくる。

知る・そして・手放す

呼吸のような絶え間ないプロセスのなか、私たちが日々行なっているのは、そんなことではないかと思う。


NVCを伝える側になって、かれこれ2年くらいたつ。伝えることを通じて私が自分に問うているのは、”誰が押しても同じ、エレクトロニクスのスウィッチを渡したいの?”それとも、”いのちのリズムに耳を傾けることを選んでいたいの?”ということだ。
“これを押せば、明るくなる”という効率的な方法を伝える代わりに”ここにある素材をつかって、どうやって灯りをとろうか”と問いかけるような、いのちの力につながりなおす感覚。 

それって、いうほど簡単なことではなくて。実際には、やり方っていうか。方法っていうか。そういうことを伝えている部分も多いのだけれど人間って感じる生きものであり、選ぶ生きものであり、その選択には力があるんだ。そんなことを感じとれる時間になったら、いのちが、いまよりちょっと、喜ぶようになるのではないかと思う。

感じることを、怖がらないで。

安心して、ひとりで居られる、暗闇と、静けさ。

それを手にすることこそが、いのちの蠢きとつながりなおす力になると、私は思うのだ。


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